日航機事故のキャンセル待ちで乗った人は誰?運命を分けた真相と記録

日航機事故のキャンセル待ちで乗った人は誰?運命を分けた真相と記録についての真相を徹底解説します。

お盆の帰省客やビジネスマンでごった返していた1985年8月12日の羽田空港。18時発の大阪・伊丹行きJAL123便は超満席の状態で、空席を待つ人々がキャンセル待ちカウンターの前に列を作っていました。

この満席の便に、急遽「キャンセル待ちの順番」が回ってきて搭乗してしまった人は実在します。当時の日本航空123便墜落事故の乗客名簿や遺族の手記によると、予定していた後の便から「1本早い便に空席が出た」として繰り上げ搭乗を案内されたビジネスマンや、他社便が取れずに滑り込みで搭乗券を手にした一般客が複数含まれていました。

代表的な事例として知られるのが、当時ハウス食品工業(現・ハウス食品グループ本社)の代表取締役社長だった浦上郁夫氏(当時47歳)の搭乗経緯です。浦上社長は当時、日本中を震撼させていた「グリコ・森永事件」において自社への脅迫が終息したことを受け、歴代社長の墓前に報告するため急遽大阪へ向かうことになりました。

本来、同社は出張に際して全日空(ANA)の利用を原則としていましたが、当日は全日空便がすべて満席。JALのキャンセル待ちカウンターで空席を待ち、繰り上げによって123便のシートを確保して搭乗したと記録されています。「少しでも早く墓前へ報告したい」という実直な思いが、悲劇的な巡り合わせとなってしまいました。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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