日本の最高位「正一位」の謎!稲荷神社の理由と生前授与の真相に迫る
話題沸騰中の 日本の最高位「正一位」の謎!稲荷神社の理由と生前授与の真相に迫るについて、詳しいまとめを整理して公開しています。
神社巡りや散策の折、誰もが一度は抱く疑問が「なぜ全国の路地裏にある小さな祠までが正一位を名乗っているのか」という点です。京都の大社ならいざ知らず、個人の屋敷神や商店街の角にある小さな祠の赤い幟にも「正一位稲荷大明神」の文字が堂々と刻まれています。この疑問を紐解く鍵が、正一位稲荷大明神の理由と伏見稲荷大社の正一位由来にあります。
全国に約3万社あるとされる稲荷神社の総本社が、京都・伏見の地に鎮座する伏見稲荷大社です。平安初期の六国史『日本三代実録』などの記録によると、稲荷社は天長4年(827年)に従五位下を授けられて以降、朝廷への祈祷や雨乞いの功績によって急速に神階を駆け上がりました。そして天慶5年(942年)、朱雀天皇の御世に東国の平将門の乱平定を祈願した功績などにより、ついに極位である「正一位」へと昇叙を果たしたと伝えられています。
街角の祠が正一位を名乗る構造の真相は、「神社の社格」と「神霊の神階」の混同にあります。幟に掲げられている正一位とは、神社の建築規模や格式のランクではなく、そこに祀られている神霊そのものの神階を意味しています。神社神道には、本社から神の御魂を分かち受ける「勧請(かんじょう)」という制度があります。神道において神の魂は、いくら分けても元の神威が減ずることはありません。つまり、伏見稲荷大社の主神が正一位である以上、そこから正式に分霊された神霊もまた「正一位の御魂」なのです。
中世から江戸時代にかけて、伏見稲荷大社の社家や愛染寺(当時の神宮寺)は、庶民や武家、商人からの勧請要請に対し、正一位の神号を記した神札や神体を授与するシステムを確立しました。江戸の町で「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と川柳に詠まれるほど稲荷信仰が爆発的に流行した背景には、「最高位の神霊を我が家・我が町にお迎えできる」という強力な心理的インセンティブが存在していたのです。