マキノ雅彦とは誰か?津川雅彦が監督名義に込めた宿命と全作品の真相
マキノ雅彦とは誰か?津川雅彦が監督名義に込めた宿命と全作品の真相についての真相をご紹介します。
映画監督としてのマキノ雅彦の経歴・プロフィールを語る上で欠かせないのが、2006年の映画監督デビューです。当時66歳だった津川雅彦が、自らのキャリアの集大成として監督業へ進出する際、選んだ名前が「マキノ雅彦」でした。単なる思いつきや気まぐれではなく、マキノ雅彦の名義の理由には、映画人としての血筋に対する深い畏敬と覚悟が込められていました。
津川雅彦の母方の祖父は「日本映画の父」と称される牧野省三、そして伯父は日本映画黄金期に数々の傑作娯楽映画を生み出した名匠・マキノ雅弘です。津川雅彦という芸名は、映画監督の伊藤大輔や日活の意向によって命名されたものでしたが、監督として映画の現場を統率するにあたり、「監督としてはマキノの看板を背負うのが筋である」という強い美学がありました。
当時の制作発表記者会見や本人の回想手記によると、「役者・津川雅彦としての手垢を一度脱ぎ捨て、マキノ映画のDNAを受け継ぐ職人として現場に立ちたかった」という趣旨の発言が残されています。単なる大御所俳優の道楽という色眼鏡を排し、映画監督という過酷な現場で自らを厳しく律するための「宣戦布告」こそが、この改名劇の真相でした。