ノルマントン号事件の真相|日本人25人水死と領事裁判の闇を暴く
ノルマントン号事件の真相|日本人25人水死と領事裁判の闇を暴くに関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
なぜ、日本人乗客だけが誰一人助からなかったのか。そして、なぜ明白な過失がありながら、当初ドレイク船長は「無罪」とされたのか。そこには、人種的偏見と言語の壁を盾にした卑劣な弁明と、幕末に結ばれた「不平等条約(領事裁判権)」という司法の壁が存在していました。
事件直後の1886年11月1日、イギリス神戸領事館において海難審問所が開かれました。領事ジェームズ・トループが判事を務めるこの審問において、ドレイク船長は以下のように証言し、責任を全面的に否定したのです。
「日本人乗客たちには甲板に上がるよう何度も呼びかけ、身振り手振りで避難を促した。しかし、彼らは英語が通じず、恐慌状態に陥って船倉から出ようとしなかった。ボートに乗せる猶予はなく、これ以上の救助活動は自らの命を危険に晒すと判断し、やむを得ず離船した」
しかし、この証言には致命的な矛盾が存在していました。沈没まで1時間以上の余裕があったにもかかわらず、なぜ物理的に彼らを連れ出す手段を講じなかったのか。なぜ救命具を装着させなかったのか。さらに、生還したインド人火夫の証言などからは、「日本人乗客は船倉に押し込められ、ハッチを閉ざされていた」という恐るべき目撃談すら浮上したのです。
にもかかわらず、11月5日に下された領事裁判所の評決は「船長および乗組員に過失は認められない(全員無罪)」という驚愕のものでした。
この不当極まりない判決を可能にした元凶こそ、1858年に江戸幕府が欧米列強と結んだ安政の五カ国条約に含まれていた「領事裁判権(治外法権)」でした。この特権条約下では、日本国内で外国人が罪を犯しても、日本の警察や裁判所は彼らを裁くことができず、加害者の本国が自国の領事と法律を使って裁くことになっていたのです。
自国の領海内で国民25名が命を奪われたにもかかわらず、主権国家である日本は捜査すら満足に行えず、イギリス人領事がイギリス人の同胞を庇い立てして無罪放免にする。まさに「治外法権という名の治外法権の濫用」が白日の下に晒された瞬間でした。