日露戦争の原因とは?大国ロシアの南下と開戦決断の裏側を解く
日露戦争の原因とは?大国ロシアの南下と開戦決断の裏側を解くの疑問点について、最新情報を取りまとめてご紹介します。
Q1:日露戦争の直接の引き金となった出来事は何ですか?
A1:最大の引き金は、義和団事件に乗じて満州全域を軍事占領したロシアが、撤兵合意を反故にして居座り続け、さらに朝鮮半島北部の竜岩浦に軍事拠点を構築したことです。これにより、日本の生命線と位置づけられていた朝鮮半島がロシアの直接的な軍事脅威に晒され、外交交渉が決裂しました。
Q2:ロシアはなぜそこまで満州や朝鮮半島に固執したのですか?
A2:ロシアの歴代指導層にとって、一年中船を運用できる「不凍港」の獲得は国家百年の計でした。ウラジオストクは冬季に凍結するため、太平洋へ自由に出入りできる港として遼東半島の旅順・大連を租借し、その利権を守り広げるために満州の支配と朝鮮半島への進出が不可欠だったためです。
Q3:日本は大国ロシアに完全勝利したのですか?
A3:戦術的には日本海海戦や奉天会戦で勝利を収めましたが、国力的には限界寸前でした。ロシア軍はシベリア鉄道を通じて増援を送り続ける余力があり、日本側は弾薬も戦費も枯渇していました。そのため、ロシア国内で起きた革命運動による混乱の隙を突き、アメリカの仲介によって辛うじて有利な条件で引き分けた講和というのが実態です。
Q4:開戦前の日本の世論は一丸となって戦争を望んでいたのですか?
A4:日清戦争後のロシアの圧力に対し、東京帝国大学の「七博士意見書」や新聞各社が主戦論を煽り、国民世論の多くは主戦派に傾いていました。しかし、内村鑑三や幸徳秋水のように雑誌『万朝報』や平民社を通じて「非戦論」を掲げ、平和を訴え続けた知識人・言論人も存在しました。