元巨人・ヤクルト入来智の悲劇|都城の事故死因と波乱の兄弟劇
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入来智の野球人生は、決して平坦なエリートコースではありませんでした。鹿児島実業高校から社会人野球の三菱自動車水島を経て、1989年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。プロ入り当初から強気なピッチングが持ち味だったものの、制球難や故障に苦しみ、1996年にはトレードで広島東洋カープへ移籍します。しかし広島をわずか1年で自由契約となり、翌1997年に古巣・近鉄へテスト生として復帰。まさに背水の陣の連続でした。
転機が訪れたのは1999年、読売ジャイアンツへの移籍です。すでに巨人軍の主戦投手として頭角を現していた実弟・入来祐作とチームメイトになり、史上稀に見る「現役兄弟投手」としてメディアの脚光を浴びることになります。そして入来智のキャリアの頂点となったのが、2001年のヤクルトスワローズ時代でした。
若松勉監督のもとで先発ローテーションに定着すると、切れ味鋭いスライダーと気迫を前面に出した投球でシーズン10勝3敗、防御率2.86というキャリアハイをマーク。チームをセントラル・リーグ制覇、さらには日本一へと導く原動力となり、同年のオールスターゲームにも監督推薦で初出場を果たしました。その後はNPBを離れ、韓国・現代ユニコーンズや台湾・La Newベアーズでもプレー。国境を越えてマウンドを求め続けた「流浪の剛腕」でした。