牽牛子塚古墳の真相|白亜の八角墳復元と斉明天皇合葬の謎
牽牛子塚古墳の真相|白亜の八角墳復元と斉明天皇合葬の謎にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。
古代史ファンのみならず歴史研究者を最も興奮させているのが、被葬者の真相をめぐる決定的な証拠群です。牽牛子塚古墳の石棺構造は、日本の古墳文化のなかでも突出した特異性を誇ります。
石室は、重さ約80トンにも及ぶ単一の巨大な石英閃緑岩(凝灰岩ブロック)を丹念にくり抜いて造られた「横口式石槨」です。その最大の特徴は、中央に厚さ数十センチの仕切り壁(隔壁)を残し、東西2つの埋葬空間(二室)に分割されている点にあります。この二室構造こそが、「高貴な身分の2人が並んで眠る合葬墓」である動かぬ物的証拠となりました。
『日本書紀』天智天皇6年(667年)冬10月の条には、明確な記録が残されています。
「斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵(おちのおかのえのみささぎ)に合葬した。また太田皇女(大田皇女)を陵の前の墓に葬った」
この記述の正しさを完全に裏付けたのが、牽牛子塚古墳の南西わずか20メートルの地点で発見された「越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)」でした。小規模な方墳でありながら、天智天皇の娘であり草壁皇子の母である大田皇女の埋葬時期・位置関係と寸分の狂いもなく合致したのです。二室に仕切られた牽牛子塚古墳の石槨内部からは、夾紵棺(きょうちょかん:麻布を漆で塗り固めた最高格式の棺)の破片や金銅製・銀製の装飾金具骨片が検出され、被葬者が大王(天皇)クラスである事実を科学的に証明しました。