孫文の妻たちの真相|宋慶齢と日本人妻大月薫・子孫の現在を追う

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孫文の革命史において、日本は最大の亡命先であり後方基地でした。宮崎滔天や犬養毅ら日本の政財界人から手厚い支援を受けるなか、孫文の身の回りの世話役として雇用されたのが、当時15歳前後の静岡県出身の少女・浅田春でした。日本の警察当局による監視記録(外務省外交史料館所蔵文書など)にも「孫文の妾」として浅田春の名が記録されており、初期の亡命生活において重要なパートナーであったことが確認されています。

しかし浅田春が若くして病に倒れると、孫文は横浜中華街で同じ建物に避難していた大月家の長女、大月薫に見初めます。1898年の出会い当時、薫はわずか10歳前後の少女でした。その後、孫文は1902年に正式に求婚し、父親の反対を乗り越えて1905年に横浜で正式に結婚しました。

1906年、薫が妊娠中に孫文は革命運動の激化に伴い日本を離れます。薫が産み落とした女児こそが、後に横浜の宮川家に里子に出された宮川富美子です。孫文はその後二度と薫のもとに戻ることはなく、薫は生活苦のなかで再婚を余儀なくされ、栃木県足利市のお寺(東光寺)に嫁ぐこととなりました。薫が生涯孫文を恨むことなく、密かにその形見を大切に守り続けたという手記や証言は、日中交流の秘史として深く胸を打ちます。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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