聖武天皇の時代はなぜ激動だったのか?大仏建立と度重なる遷都の真相

聖武天皇の時代はなぜ激動だったのか?大仏建立と度重なる遷都の真相の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

聖武天皇の時代におけるもう一つの重大な変革が、天平15年(743年)に出された墾田永年私財法です。大仏造立の詔と同年に発布されたこの法令は、日本の中世荘園社会への扉を開いた決定的な転換点となりました。

大化の改新以来、日本の税制と土地制度は「すべての土地と人民は国家のもの」とする公地公民制と口分田を支給する班田収授法を原則としていました。しかし、天然痘による農民の激減と重税(租・庸・調や防人などの兵役)に耐えかねた農民の逃亡・浮浪が相次ぎ、全国で田畑が荒廃。天平15年の前段階として導入された「三世一身法」(開墾した土地の3世代私有許可)も、期限が近づくと意欲を失って再び荒れ地に戻ってしまうという限界を迎えていました。

国家財政が完全に破綻の危機に瀕する中、朝廷は「自ら開墾した田地の永久私有」を全面的に認める方針転換に踏み切りました。これが墾田永年私財法です。これにより、地方豪族や有力貴族、そして大寺院は競って荒れ地を開墾し、自らの私有地(初期荘園)を拡大させていきました。

公地公民の原則を崩壊させ、後の貴族・武士による荘園支配の素地を作ったという側面はあるものの、当時としては荒廃した国土の生産力を急速に回復させ、大仏造立などの巨大事業を支えるための不可避な経済再生策だったのです。

こうした激動と経済構造の変革期にあって、平城京を中心に咲き誇ったのが天平文化でした。唐の長安を手本とし、シルクロードを経由してペルシャやインドの意匠が流入した国際色豊かな文化であり、東大寺の正倉院に納められた宝物群(螺鈿紫檀五絃琵琶や白瑠璃碗など)には、過酷な現実の先に現出させた理想世界の美しさが今なお鮮やかに残されています。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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