与謝野晶子がお札に落選した真相とは?樋口一葉・津田梅子との決定的差
与謝野晶子がお札に落選した真相とは?樋口一葉・津田梅子との決定的差の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。
ネット上でしばしば見られる言説に、「与謝野晶子は反戦詩を書いたせいで体制から危険視され、お札になれなかった」というものがあります。しかし、これは歴史的事実を一面しか見ていない誤解です。
1904年に発表された『君死にたまふことなかれ』は、当時文芸誌『明星』に掲載された際、文芸評論家の大町桂月らから「国家の危機に際して利己的な感情を吐露する乱臣賊子」と激しいバッシングを受けました。これに対し晶子は「歌は誠の心を歌うもの」と一歩も引かずに反論したことは有名です。
しかし、その後の彼女の足跡を丹念に追うと、事態は単純な「反体制派」ではありませんでした。日露戦争の旅順陥落に際しては戦勝を祝う歌を詠み、満州事変以降の1930年代には、日本の軍事行動を支持・鼓舞するような歌を数多く発表しています。自著や当時の手記に残された肉声を検証すると、彼女は国家イデオロギーで動いていたのではなく、「家族を守りたい」「時代の熱狂に共振してしまう」という一人の生活者・表現者としての生身の葛藤の中にいました。
つまり、財務省が選定において警戒したのは「彼女が反戦だったから」ではなく、「その時代その瞬間で極端に揺れ動いた言動が、現代において様々な政治的立場から恣意的に利用・論争化されるリスク」だったのです。お札という国家インフラにおいて、余計なイデオロギー論争を招く要素は極力排除されるのが鉄則です。