生田斗真の若い頃が天使すぎると再燃!天てれからイケパラまでの軌跡
生田斗真の若い頃が天使すぎると再燃!天てれからイケパラまでの軌跡の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
生田斗真のキャリアを語る上で避けて通れないのが、ジャニーズJr.黄金期に経験した「選外の苦しみ」です。1990年代後半、彼は松本潤、二宮和也、相葉雅紀とともに4人組ユニット「MAIN」を結成し、Jr.の冠番組や舞台で常にセンター格として活躍していました。当時のファンにとって、この4人が将来同じグループとしてデビューすることは疑いようのない未来に見えていました。
しかし、1999年の嵐結成において、MAINから選出されたのは松本、二宮、相葉の3名でした。自分以外のメンバーがハワイで華々しい記者会見を開き、瞬く間に国民的スターへの階段を駆け上がっていく姿を、生田は日本でバックダンサーとして見つめることになります。後に本人がテレビ番組のロングインタビューで振り返った際、「嵐のデビューコンサートでバックで踊っていたとき、悔しくて情けなくて、ステージ裏で一人で泣いた」と赤裸々に吐露しています。
その後、2002年には山下智久、風間俊介、長谷川純とともに「Four Tops」を結成。Jr.を牽引する伝説的リーダーユニットとして絶大な支持を集めましたが、翌2003年、山下を中心とした「NEWS」が結成され、Four Topsもまた事実上の解散を余儀なくされました。二度にわたるグループ解体とCDデビューの消滅は、多感な10代後半の少年にとってアイデンティティを根底から揺るがす過酷な出来事でした。
絶望の淵にあった生田を救い、役者としての覚醒を促したのが、17歳のときに出演した劇団☆新感線の舞台『スサノオ〜神の剣の物語〜』でした。劇団主宰のいのうえひでのりや、古田新太をはじめとする怪優たちの凄まじい熱量と演技力に圧倒された彼は、「自分にはマイクを持って歌うことではなく、身体一つで舞台に立ち、台詞を紡ぐ道がある」と直感します。CDデビューという既存のレールに縋ることを潔く手放し、「歌わないジャニーズ」として芝居一本で生きていく決意を固めた瞬間でした。