東大卒エリートはなぜ小豆島で孤死したか?尾崎放哉の壮絶な生涯と名句

東大卒エリートはなぜ小豆島で孤死したか?尾崎放哉の壮絶な生涯と名句の真相について、最新情報を取りまとめてご紹介します。

各地の寺を追われた放哉が、井泉水らの手配によって最後に流れ着いたのが、香川県小豆島にある西光寺の奥の院「南郷庵(みなんごあん)」でした。1925年(大正14年)8月のことです。

南郷庵での放哉は、島民たちの温かい情けに触れ、ようやく心の平穏を取り戻しかけていました。しかし、長年の不摂生と極貧生活は彼の身体を蝕んでいました。持病の咽頭結核(湿性肋膜炎を併発)が悪化し、声が出なくなり、食事も喉を通らない重篤な状態に陥ります。

1926年(大正15年)4月7日、隣家に住む女性や医師に看取られながら、放哉は41歳で息を引き取りました。死因は咽頭結核でした。

現在、放哉の故郷である鳥取県鳥取市には「鳥取市尾崎放哉記念館」が設立され、直筆原稿や遺品が大切に保存されています。また、小豆島の南郷庵跡地にも「尾崎放哉記念館」が整備され、彼が最期に見つめた瀬戸内の光とともに、孤高の俳人の足跡を今に伝えています。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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