怪童・久島海の早すぎる死因と伝説|田子ノ浦親方の無念と弟子たちの現在
怪童・久島海の早すぎる死因と伝説|田子ノ浦親方の無念と弟子たちの現在にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
インターネット上の掲示板やSNSでは、久島海の相撲人生に対して「アマチュアの怪物は大相撲のプロでは通用しなかった」「期待外れの典型」といった短絡的な言説が散見されます。しかし、当時の相撲界を詳細に取材した報道陣や同時代に対戦した力士たちの証言を検証すると、この評価がいかに浅薄な誤解であるかが浮き彫りになります。
まず押さえるべき事実は、久島海が幕内通算254勝を挙げ、約10年間にわたり大相撲の最高峰である幕内の土俵を守り抜いた一流力士であったという点です。三賞である敢闘賞を2度獲得し、横綱・旭富士から豪快な金星を奪うなど、上位陣にとって最も対戦を嫌がる不気味な強豪であり続けました。
では、なぜ大関・横綱へと突き抜けられなかったのか。最大の要因は、1989年5月場所で負った右足首の複雑骨折でした。新入幕を果たし、破竹の勢いで土俵を駆け上がっていたまさにその時、巨体を支える足首の関節が破壊されたのです。現代のような高度なスポーツ外科学やリハビリプログラムが未確立だった当時、久島海は十分な休養を取らぬまま土俵に復帰せざるを得ず、これが慢性的な下半身の機能低下を招きました。
足首の踏ん張りが利かなくなった久島海は、前へ出る圧力を維持するためにさらなる体重増量を選択しました。この増量が結果として200kg超の極端な負荷を生み、両膝の破壊と重度の糖尿病という負の連鎖を引き起こしたのです。つまり、「プロの実力に劣っていた」のではなく、「致命的な大怪我を抱えながら、満身創痍の状態で前頭筆頭まで登り詰めた」というのが、関係者の共有する真実の姿です。