朝潮太郎の歴代の歩みと死因の真相|高砂部屋と朝青龍を繋ぐ光と影

朝潮太郎の歴代の歩みと死因の真相|高砂部屋と朝青龍を繋ぐ光と影の注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。

昭和50年代から60年代にかけて大相撲界を大いに盛り上げたのが、4代朝潮太郎(本名・長岡末弘)です。高知県室戸市出身の長岡氏は、近畿大学相撲部時代に学生横綱・アマチュア横綱に輝くなど輝かしい実績を引っ提げ、名門である高砂部屋へと入門しました。大学相撲界のエリートとして鳴り物入りで角界入りした長岡氏は、持ち前の怪力と分厚い太鼓腹を利かせた強烈な押し相撲を武器に、瞬く間に番付を駆け上がりました。

幕内昇進直後からファンの度肝を抜いたのが、昭和の大横綱・北の湖敏満に対する圧倒的な強さです。当時、絶対的な強さを誇っていた北の湖に対し、朝潮太郎の経歴を語る上で欠かせない通算13勝7敗という驚異的な対戦成績を記録。「北の湖キラー」の異名は日本中に轟き、蔵前国技館の座布団が舞い散る名勝負を幾度となく演出しました。1983年(昭和58年)春場所では12勝3敗で念願の幕内最高優勝を果たし、大関昇進を果たします。

土俵上での勇猛果敢な取り口とは裏腹に、土俵を下りれば「大ちゃん」の愛称で親しまれた屈託のない笑顔とユーモラスな語り口で、昭和の国民的タレント力士としても絶大な人気を博しました。大相撲大関朝潮としての在位は実に32場所。度重なる怪我と戦いながらも、看板力士としての重責を果たし続けました。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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