レイテ島の激戦と謎の反転|80年の時を超えて甦る真実と現在の姿
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1944年10月20日、ダグラス・マッカーサー大将率いる連合国軍の大船団が、レイテ島東岸の赤砂の海岸(通称レッドビーチ)に殺到した。1942年にコレヒドール島を脱出する際、マッカーサーが残した有名な声明「アイ・シャル・リターン(私は必ず戻る)」の約束が果たされた瞬間であった。米軍がルソン島ではなく、中部のレイテ島を最初の攻略目標に選んだ背景には、日本軍の防備が手薄であり、航空基地を迅速に設営してフィリピン全土の制空権を奪取しやすいという冷徹な計算があった。
迎え撃つ日本陸海軍にとって、フィリピンの喪失は戦争継続能力の完全な喪失を意味していた。インドネシア方面からの石油や鉱物資源の海上輸送ルート(シーレーン)が遮断されれば、内地に留まる戦艦や航空機は文字通り「燃料のない鉄くず」と化す。大本営は陸海軍総力を結集した迎撃計画「捷一号(しょういちごう)作戦」を発動。日本陸軍は決戦の場をルソン島から急遽レイテ島へと前倒しし、海軍は残存する水上戦闘艦の主力をことごとくレイテ湾へ突入させる博打的な出撃を決定した。
しかし、この作戦は発動の初期段階から致命的な構造的破綻を抱えていた。絶対的な制空権を米軍に握られている状況下での海上突入であり、空母機動部隊を囮(おとり)として米機動部隊を引きつける間に、水上艦隊が敵上陸船団を叩くという極めて綱渡りの連携が要求されていたからである。