高田純次の妻・勢子さんの素顔とは?下積み支えた愛妻家秘話と娘の現在

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2人の出逢いは、昭和のアンダーグラウンド演劇界を揺るがしていた劇団自由劇場の稽古場にまで遡ります。串田和美さんらが主宰していたこの劇団に純次さんが研究生として参加した際、同じく研究生として在籍していたのが勢子さんでした。演劇への情熱を共有する仲間として時間を過ごす中で自然と惹かれ合い、26歳を迎えた1973年頃に結婚へと漕ぎ着けています。

しかし、当時のアングラ劇団員に安定した収入など望むべくもありませんでした。結婚生活のスタートは四畳半一間の風呂なしアパート。純次さん自身が後年の回顧録で「水道が止められ、近所の公園まで妻とポリタンクを持って水を汲みに行った」と述懐するほどの極貧生活でした。さらに長女を授かったことで、純次さんは大きな人生の決断を迫られます。「家族を飢えさせるわけにはいかない」と、愛する演劇を一切断ち切り、妻子を養うために就職活動へと踏み切ったのです。

そこで就いた職が、大手貴金属メーカーのジュエリーデザイナー兼販売営業でした。美術系への進学を志した経験からデッサンや造形力に長けていた純次さんは、朝から晩まで真面目に働き、4年間のサラリーマン生活で社内のトップセールスマンとして成果を上げました。毎月定額の給与を妻・勢子さんに手渡し、普通のサラリーマン家庭としての平穏を築き上げていたのです。

転機が訪れたのは30歳を迎える直前でした。自由劇場の盟友であった柄本明さんから「東京乾電池という新しい劇団を立ち上げるから戻ってこないか」と誘いを受けたのです。安定した給料と日常を再び捨て、無謀な貧乏劇団へ逆戻りすることを意味するこの誘いに、純次さんは激しく苦悩しました。その際、迷う夫の背中を静かに押したのが勢子さんでした。

「男の人が一度きりの人生でやりたいことがあるなら、やってみればいいじゃない」――取り乱すこともなく、淡々と夫の夢と覚悟を受け入れた勢子さんの受容力。これこそが高田純次という不世出のタレントを誕生させた真の起点であり、純次さんが生涯頭の上がらない愛妻家となった決定的な理由です。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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