東急を巨大企業へ育てた五島昇の波乱|父・慶太との確執と日商会頭の真実
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五島昇の影響力は、東急グループの枠を遥かに越えて昭和後期の国政を左右しました。1984年、第13代日本商工会議所(日商)会頭および東京商工会議所会頭に就任。当時の中曽根康弘首相が掲げた「戦後政治の総決算」において、臨時行政調査会(臨調)を支える民間側のキーマンとして辣腕を振るいました。
元大本営参謀の瀬島龍三とともに中曽根首相のブレーンを務めた昇は、巨額の赤字に苦しんでいた日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化(現・JR各社)や、日本電信電話公社(NTT)、日本専売公社(JT)の民営化を強力に後押ししました。私鉄経営で培った「競争原理と効率経営」を行政機構に注入する役割を果たしたのです。
また、教育分野においては学校法人亜細亜学園(亜細亜大学)の理事長を務め、アジア地域を中心とする留学生の受け入れや国際交流を推進しました。「経営において最も尊いのは人間力であり、人を育てることこそが国の基盤になる」という名言を遺し、東急グループの社員教育のみならず、次世代の若者育成に情熱を傾けました。