梅沢富美男の若い頃が超絶イケメン!下町の玉三郎と夢芝居の衝撃伝説
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1982年11月にリリースされたシングル『夢芝居』は、梅沢富美男さんの名を日本全国津々浦々にまで轟かせた金字塔です。シンガーソングライターの小椋佳さんが作詞・作曲を手掛けたこの楽曲は、艶やかな大人の情愛を描いたメロディと梅沢さんの哀愁漂う歌声が見事に融合し、オリコンチャート最高4位を記録、50万枚を超える大ヒットとなりました。
テレビの歌番組に出演した梅沢さんは、時に華麗な女形姿で舞いながら歌い、時にスタイリッシュなタキシード姿で渋く歌い上げる演出を披露。その変幻自在な魅力に、日本中の視聴者が釘付けになりました。1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした瞬間は、大衆演劇出身の役者がお茶の間の頂点に立った歴史的瞬間でもありました。
札束レイや高級外車…昭和大衆演劇バブルの生々しいリアル
『夢芝居』の大ヒットに伴い、梅沢富美男さんの身の回りで巻き起こったモテ伝説とファンの熱狂は、現代の常識では計り知れないスケールを誇ります。
当時の報道や本人の回想録によると、舞台公演中の客席からは、数千万円単位の札束で作られた「おひねり(札束のレイ)」が首に次々と掛けられ、公演が終わる頃には首が回らなくなるほどの重みになったといいます。さらに、ファンからプレゼントされたものは貴金属や高級時計にとどまらず、高級外車のキーや、果ては「自由に使ってください」と都心のマンションの鍵を手渡されたことすらあったと明かされています。
トラック何台分ものファンレターや差し入れが届く毎日の中、梅沢さんは夜の街でも豪快に遊び、数多くの浮名を流しました。しかし、彼がどれだけ豪遊しても周囲から慕われ続けたのは、舞台の共演者や劇団員、裏方のスタッフたちにその富を惜しみなく還元し、全員を養い続けた男気と責任感があったからです。