コカ・コーラ発明者ペンバートンの光と影|レシピ誕生秘話と悲劇の最期

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戦場から奇跡的に生還を果たしたペンバートンでしたが、傷口がもたらす激痛は生涯消えることがありませんでした。当時の医療現場では、激しい外傷の疼痛管理としてモルヒネの大量投与が日常的に行われており、彼もまた鎮痛のためにモルヒネに頼らざるを得なくなります。

彼がモルヒネ中毒に陥った理由は、個人の意志の弱さではなく、凄惨な戦傷の痛みを抑える医療処置の結果でした。一流の薬剤師であったペンバートンは、自らが薬物依存の底なし沼に沈みつつある事実を誰よりも冷静に理解しており、その苦しみから脱出するため、「モルヒネの代替となる安全な鎮痛薬・滋養トニック」の創出に執念を燃やし始めます。

そこで彼が目をつけたのが、当時ヨーロッパの上流階級で大流行していたコカ葉入りのワイン「ビン・マリアーニ」でした。ペンバートンはコカの葉エキスとアフリカ産のコーラナッツ(カフェイン含有)を配合し、1884年に前身となるヒット商品「フレンチ・ワイン・コカ」(Pemberton's French Wine Coca)を完成させました。この商品は「頭痛や神経衰弱、モルヒネ依存を和らげる万能薬」としてアトランタの知識層を中心に絶大な支持を集めます。

ところが1885年、アトランタおよびフルトン郡で厳格な禁酒法(地方アルコール規制条例)が可決されます。アルコールを含むフレンチ・ワイン・コカは販売停止の危機に直面。追い詰められたペンバートンは、ワインの代わりに砂糖シロップと独自の香料ブレンドをベースにした「ノンアルコール版の新しい薬用シロップ」の再開発に着手しました。

1886年5月、アトランタの自宅裏庭にある真鍮製の薬用釜で、ついに黄金比の調合が完成します。近所にあったアトランタの「ジェイコブス薬局」(Jacobs' Pharmacy)に持ち込まれたシロップは、誤って炭酸水で割られたことをきっかけに極上の爽快飲料へと変貌を遂げ、1杯5セントで店頭販売が開始されました。ペンバートンの共同経営者兼経理担当だったフランク・ロビンソンが、主原料の頭文字を並べて「Coca-Cola」と命名し、今日まで使われている優美なスペンサー体ロゴを書き上げたのです。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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