渡辺錠太郎と二・二六事件の真相|娘が語る最期の瞬間となぜ狙われたのか

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1936年2月26日の払暁、東京市杉並区上荻窪の渡辺邸に、歩兵第3連隊の安藤輝三歩兵大尉率いる襲撃部隊約150名(あるいは別動隊)が押し寄せました。

当時9歳(小学校3年生)だった四女の渡辺和子氏は、生涯忘れられないその日の光景を自著や講演で克明に語り遺しています。

激しい銃声と怒号で目覚めた渡辺大将は、寝間着の上に羽織を引っ掛け、手にした拳銃で応戦の構えをとりました。居間に踏み込んできた反乱兵たちの銃口を見た大将は、すぐ傍らにいた幼い和子氏の身を案じ、「和子、あっちへ行っていなさい!」と叫んで座敷の押し入れ(または物陰)へ押し込み、自らの身体で娘を遮るように立ち塞がりました。

その直後、兵士の放った軽機関銃(十一年式軽機関銃)から無数の弾丸が発射され、大将の全身を貫きました。渡辺和子氏は、わずか1メートルほどの至近距離から父親の身体に銃弾が撃ち込まれ、骨が砕け、肉片と血煙が飛び散る様を目撃することになります。

トドメとして軍刀で喉を突かれた渡辺錠太郎の死因は多発性銃創および刺創による失血死。身体には40発以上もの被弾痕が残されていました。娘の命を身を挺して守り抜いた父の最期は、和子氏の心に消えることのない深い傷と、後に修道女・教育者として生きる上での強靭な精神的支柱を同時に刻み込むこととなったのです。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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