京都河原町の歴史の深層|荒れた河原が日本屈指の繁華街へ化けた真実
京都河原町の歴史の深層|荒れた河原が日本屈指の繁華街へ化けた真実の詳細解説をご紹介します。役立つ情報が満載です。
Q1:河原町通という名前はいつ頃から使われ始めたのですか?
A1:天正19年(1591年)、豊臣秀吉が京都の周囲に御土居を築造し、鴨川の旧河原を埋め立てて新たな町筋を開削した際に成立しました。「鴨川の河原に開かれた町」という直截的な立地がそのまま名称の由来となり、江戸初期の地誌や絵図にもすでに「河原町通」の表記が定着しています。
Q2:坂本龍馬が暗殺された「近江屋」の正確な場所はどこですか?
A2:現在の住所では京都市中京区河原町通蛸薬師下ル塩屋町にあたります。目印としては、河原町通東側の歩道沿い(京極フーズビル前)に「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之碑」という石碑が建立されています。かつての醤油商・近江屋井口新助邸の敷地であり、当時の建物自体は残っていませんが、碑の前には年間を通じて多くの歴史ファンが献花や見学に訪れています。
Q3:かつて河原町通を走っていた京都市電の痕跡は今でも見られますか?
A3:市街地の路面軌道は1977年から1978年の全廃時にすべて撤去・舗装されたため、現在の河原町通にレールなどの物理的遺構は残っていません。しかし、現在の広々とした「幅員約22メートル」という道路空間そのものが、大正から昭和初期にかけて市電を通すために家屋を立ち退かせて拡幅した最大の遺産です。また、梅小路公園の「市電ひろば」などでは、当時河原町線を疾走していた本物の京都市電車両が動態保存されています。