2000年代プリクラ名機の現在と盛りの歴史|花鳥風月や美人の真相

2000年代プリクラ名機の現在と盛りの歴史|花鳥風月や美人の真相を詳しくリサーチ! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。

1995年にアトラスとセガが世に送り出した『プリント倶楽部』から始まったブームは、2000年代に入ると「写り」の劇的な進化フェーズへと突入しました。1990年代後半の機種が「フレームを選んで記念に撮る」段階だったのに対し、2000年代は「どれだけ自分を可愛く見せるか」という、いわゆるプリクラ盛りの歴史と変遷の幕開けとなります。

その転換点となった象徴的な機種が、2003年にオムロン(現フリューの源流)がリリースした『美人通信』でした。それまでのプリクラはフラッシュの直射による白飛びが目立ち、画質も粗いものでしたが、同機はスタジオ照明のような柔らかなライティングと肌色補正技術を導入しました。「大人の女性のように綺麗に写る」という体験は、背伸びをしたいティーンの心を鷲掴みにし、デカ目白肌機能の歴史における最初の金字塔となったのです。

2000年代中期に入ると、画像処理エンジンの進化に伴い、技術革新は一気に加速します。2005年から2007年にかけてメイクソフトウェア(開発:IMS等)が放った『花鳥風月』シリーズや『姫と小悪魔』は、「黒髪・陶器肌」「濃密なアイライン効果」「ドーリーなデカ目」を前面に押し出しました。当時のギャル誌『Popteen』や『egg』のトレンドとダイレクトに連動し、ブース前には週末ともなれば1時間待ちの長蛇の列が形成されるほどでした。

同時に、女子学生たちの間ではプリクラシール帳懐かしい流行がピークを迎えました。バインダー式の小さなファイルに、手書きのデコレーションを施したシールを貼り、友人同士で「交換」することが一種の社会的通過儀礼として機能していたのです。ハサミスペースで丁寧にカットし、余白にポスカ(カラーマーカー)でメッセージを書き込む行為そのものが、かけがえのない放課後の儀式でした。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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