熊襲の穴の衝撃真相|神話の洞窟に前衛アートがある本当の理由とは?
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鹿児島県霧島市隼人町に位置する「熊襲の穴」は、『古事記』や『日本書紀』に記された古代の英雄・小碓命(オウスノミコト、後の日本武尊/ヤマトタケル)による熊襲征伐の舞台として名高い洞窟です。
大和朝廷の支配に激しく抵抗した南九州の先住勢力「熊襲族(くまそぞく)」。その強大な首領であった川上梟帥(クマソタケル)が本拠地としていたのが、この険しい断崖に口を開く天然の洞窟群と伝えられています。大和朝廷から遣わされた若きヤマトタケルは、少女の姿に女装して熊襲の宴席に忍び込み、油断したクマソタケルを一刃のもとに討ち取ったと記録されています。死に際した首領がその武勇を称え、「ヤマトタケル」の尊号を献上したという劇的な神話の舞台こそが、この地です。
地質学的な観点から見ると、この洞窟は太古の阿蘇・加久藤カルデラ噴火に伴う火砕流が堆積して形成された溶結凝灰岩の空洞です。主洞(第1洞)は奥行き約22メートル、幅約10メートル、高さ約5メートルに達し、約100畳(約300平方メートル)もの広大な空間を有しています。内部は夏でもひんやりとした冷気に包まれ、外部の音を完全に遮断する隔絶された構造となっており、古代の首領が砦や儀式の場として利用した合理的な理由を今に伝えています。