カミラ夫人はなぜ王妃になれたのか?略奪愛の真相と国民評価が激変した理由

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1981年、チャールズ皇太子と19歳の若きダイアナ・スペンサーの華々しいロイヤルウェディングが世界中で祝福されました。しかし、その陰でチャールズ皇太子とカミラ夫人の関係は清算されていませんでした。

ダイアナ元妃は結婚当初からカミラ夫人の影に苦しみ続けました。1995年のBBCによる歴史的な特番インタビュー『パノラマ』において、ダイアナ元妃が放った「この結婚生活には3人の人間がいました。だから少し混み合っていたのです(Well, there were three of us in this marriage, so it was a bit crowded)」という告白は、世界中に衝撃を与えました。

さらに1992年には、チャールズ皇太子とカミラ夫人の親密な深夜の電話音声が流出した「カミラゲート(Camillagate)」事件が勃発。王室の権威は失墜し、イギリス国民の怒りの矛先は一斉にカミラ夫人へと向けられました。自宅には罵詈雑言の手紙が届き、街角に出れば罵声を浴びせられるなど、彼女は一時期「英国内で最も嫌われた女性」の烙印を押されることになります。

1996年の皇太子夫妻の離婚、そして1997年8月のパリでのダイアナ元妃の急逝によって、カミラ夫人に対する国民の反発は頂点に達しました。誰もが2人の関係は完全に終わったと考えましたが、チャールズ皇太子はカミラ夫人を手放すことはありませんでした。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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