徳川家康の死因は胃がんか天ぷらか?最新医学が暴く臨終の真相
徳川家康の死因は胃がんか天ぷらか?最新医学が暴く臨終の真相とは一体何なのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
徳川家康の死因としてあまりに有名な「鯛の天ぷら説」。発端となったのは、元和2年(1616年)1月21日、家康が田中城(現在の静岡県藤枝市)周辺で鷹狩りを楽しんだ際のエピソードです。豪商・茶屋四郎次郎が上方で流行していた「鯛を胡麻油で揚げ、すりおろしたニンニクを添えた料理」を勧め、家康がこれを大いに賞味したと記録されています。
しかし、家康がその夜に激しい腹痛を起こしたのは事実であるものの、息を引き取ったのは約3ヶ月後の4月17日です。潜伏期間や病態の推移を考慮しても、細菌性食中毒やアニサキス症で87日間も苦しみ続け、徐々に衰弱して絶命することは現代の臨床医学において考えられません。油の酸化による胃腸障害が、潜在していた病変を刺激する引き金(急性増悪の契機)になった可能性は否定できないものの、直接の病因ではないというのが現代医学の一致した見解です。
では、家康を死に至らしめた真の病名は何だったのか。同時代の一級史料である『当代記』には、臨終に至るまでの病状が生々しく記録されています。
「心下に塊あり、手にてさわれば龍起す」――すなわち、みぞおちから腹部にかけて外から手で触れてはっきりと分かるほど硬く隆起した、拳大のしこりが存在していたという記述です。さらに病状が進むと、食事をまったく受け付けなくなり、激しい胸焼けとともに「黒褐色の液体(タール状の吐瀉物)」を吐き戻すようになり、骨と皮ばかりに痩せ衰えていきました。
これらの臨床所見は、胃体部から幽門部にかけて発生した進行性胃がん、ならびに腫瘍からの持続出血(吐血およびタール便)、幽門狭窄による通過障害の典型的な経過と完全に一致します。現代の病理診断学および消化器内科の専門家たちも、この『当代記』の記述から「スキルス胃がん、あるいは進行性の胃がんによる悪液質(カヘキシー)」と断定しています。