なぜ黒電話は停電でも繋がる?昔の電話の仕組みと進化の歴史を徹底解剖
なぜ黒電話は停電でも繋がる?昔の電話の仕組みと進化の歴史を徹底解剖について押さえておきたい ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。
通信網の普及に伴い、電話番号の桁数も目まぐるしい変遷をたどりました。明治23年の創業当初、東京の加入者はわずか155名、横浜は35名にすぎず、番号も「1番」「2番」といった単独の数字でした。大隈重信が177番、実業家の渋沢栄一が142番など、初期の良番は政財界の重鎮に割り当てられた歴史があります。
戦後の高度経済成長期を迎えると電話需要は爆発し、局番の増設が追いつかなくなります。地方では長らく4〜5桁のダイヤル番号が使われていましたが、大都市圏から順次拡大され、1991年(平成3年)には象徴的な「東京03地域における市内局番4桁化(全体で10桁化)」が断行されました。全国的な市外局番の再編や携帯電話の普及によって、11桁の番号が日常化する現代の番号体系が完成したのです。
通信速度のボトルネックを解消するため、1969年(昭和44年)に登場したのが「プッシュホン」に代表されるプッシュ回線(トーン回線)です。従来のダイヤル回線が「カチカチ」というパルス信号で1秒間に10回または20回(10pps / 20pps)の断続を伝えるのに対し、プッシュ回線はボタンを押した瞬間に「ピポパ」という異なる高低2つの合成音(DTMF:デュアル・トーン・マルチ・フリクエンシー)を送信します。
発信完了まで十数秒を要したダイヤル式に比べ、プッシュ回線は一瞬で番号認識が完了し、電話網を介した銀行残高照会やチケット予約システムなどのデータ伝送を可能にしました。ダイヤル回線契約の家庭では、自動音声ガイダンスの案内に従う際、電話機に備わった「トーンボタン(*や♯)」を押して一時的に信号を切り替える操作が必要だったことも、昭和・平成の過渡期ならではの風景です。
また、街頭の通信を支えた公衆電話の歴史も見逃せません。昭和20年代後半からタバコ屋や文房具店の店頭に設置された「赤電話(委託公衆電話)」は、通信事業者が店舗の店主に管理を委託した特殊な形態でした。店舗側が通話料を回収して手数料を得る仕組みであり、夜間は店内にしまわれるため24時間は使えませんでした。これに対して、路上や駅前ボックスに設置された青電話や黄色の大型公衆電話、のちの緑色のテレホンカード対応公衆電話は、電電公社が直営で管理する独立インフラという明確な運用の違いが存在していました。