豊臣家の家紋なぜ日本政府と同じ?五七桐と太閤桐の秘密を徹底解説

豊臣家の家紋なぜ日本政府と同じ?五七桐と太閤桐の秘密を徹底解説についての疑問解決ガイドをご紹介します。

尾張の貧しい農民あるいは足軽階級の出身とされる秀吉は、もともと先祖伝来の確固たる家紋を持っていませんでした。その秀吉が歴史の表舞台に登場する過程で、家紋は極めて重要な政治的プロパティとなっていきます。

秀吉が最初に桐紋を手に入れたのは、主君である織田信長からの下賜でした。信長自身、足利15代将軍・足利義昭を奉じて上洛を果たした際、功績として室町幕府および皇室から五三桐と五七桐を下賜されていました。信長は功績を挙げた家臣への最大の恩賞としてこの桐紋を与える手法をとっており、羽柴秀吉もその栄誉に浴したのです。

さらに天正13年(1585年)、関白に就任した秀吉は正親町天皇から「豊臣」の姓を賜ると同時に、皇室直系であることを示す菊花紋章と五七桐紋の正式な下賜を受けました。これにより、秀吉は単なる軍事政権の長ではなく、朝廷公認の最高権力者としての絶対的な正統性を手に入れたのです。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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