なぜ青年将校は暴走したか?二・二六事件の真相と昭和天皇激怒の裏側
なぜ青年将校は暴走したか?二・二六事件の真相と昭和天皇激怒の裏側の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。
反乱将校たちが最も誤算だったのは、自分たちが絶対的な忠誠を誓っていた昭和天皇の極めて激しい怒りでした。
将校らは「天皇親政」を旗印に掲げれば、天皇は自分たちの行動を認めてくれると盲信していました。しかし、昭和天皇にとって彼らの行為は、自らが信頼する手足(股肱の臣)を無残に殺害した許されざる反逆行為に他なりませんでした。天皇は側近の反乱への同調を一切許さず、「自らが最も信頼する大臣たちを殺害するとは何事か」「陸軍が鎮圧をためらうなら、朕自らが近衛師団を率いて鎮圧に向かう」と激怒し、即座の討伐を厳命しました。
この天皇の断固たる意思により、陸軍首脳部の態度は一変。東京一帯に戒厳令が敷かれ、反乱軍は一転して「反逆部隊」と認定されました。事件後、弁護人なし・一審制・非公開という異例の特設軍法会議が設置され、青年将校17名に加え、思想的指導者とみなされた北一輝、西田税ら民間人を含む計19名に迅速な死刑判決が下され、銃殺刑が執行されました。