鳥羽離宮跡公園には何がある?院政と幕末の舞台巡る現地取材ガイド

鳥羽離宮跡公園には何がある?院政と幕末の舞台巡る現地取材ガイドの真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

鳥羽離宮の歴史を理解するうえで欠かせないのが、平安時代末期の白河上皇による院政の開始です。応徳3年(1086年)、白河上皇は鴨川と桂川が合流する水陸交通の要衝であった鳥羽の地に別邸の造営を命じました。これが鳥羽離宮(城南離宮)の始まりです。京都市の公式観光データによると、その規模は東西約1.5キロメートル、南北約1キロメートルにも及び、敷地内には南殿、北殿、泉殿、馬場殿といった御所や、安楽寿院をはじめとする壮大な堂塔・三重塔が建ち並んでいました。

鳥羽上皇、近衛天皇へと受け継がれた離宮は、単なる別荘にとどまらず、朝廷の実権を掌握した上皇たちが政務を執る「実質的な首都」として機能しました。保元の乱(1156年)の引き金となった鳥羽法皇の崩御も、この鳥羽の地で起きています。その後、南北朝時代以降の戦乱や桂川の氾濫によって多くの殿舎は失われ、農村地帯へと姿を変えていきました。

それから約700年後、この地は再び日本史の激震地となります。明治元年(1868年)1月3日、離宮跡の西端に位置する小枝橋付近で、京都進軍を目指す旧幕府軍と、これを阻止しようとする薩摩藩を中心とした新政府軍が衝突しました。これが2年間に及ぶ戊辰戦争の号砲となった鳥羽・伏見の戦いです。鳥羽離宮跡公園内のかつての篠山(秋の山とは別の築山)頂上には「鳥羽伏見戦跡碑」が静かに佇み、新選組も加わった幕末最大の激戦を今に伝えています。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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