昭和の大横綱・大鵬の出身地はどこ?樺太と北海道弟子屈の真相に迫る
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1945年8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破棄して樺太へ侵攻を開始すると、一家の運命は暗転します。父・マルキャン氏は「元白衛軍・ソ連の反逆者」としてソ連軍に連行・拘束され、わずか5歳だった幸喜と母・キヨさんは生き別れを余儀なくされました。二度と父の消息が掴めないまま、母子は過酷な引き揚げ船に乗り込むことになります。
この引き揚げの過程には、戦後史における奇跡的なエピソードが存在します。母子は樺太の大泊(現コルサコフ)から引き揚げ船「小笠原丸」に乗船しましたが、航行途中の稚内港で激しい船酔いのため下船しました。その直後、小笠原丸は留萌沖でソ連潜水艦の雷撃を受け沈没(留萌沖三船殉難事件、死者600名以上)。もし稚内で降りていなければ、後の大横綱は海に消えていたことになります。
命を拾った母子は、稚内、オホーツク沿岸の湧別町などを転々とし、最終的に親族を頼って道東の弟子屈町へ移住しました。生活は極貧を極め、母・キヨさんは行商や納豆売りで糊口をしのぎ、少年・幸喜も家計を助けるために重い荷物を運ぶ日々を送りました。この弟子屈での過酷な労働と大自然が、後の強靭な足腰を育む土台となったのです。