メアリー1世の真実|血まみれの女王が抱えた孤独と処刑の悲哀
メアリー1世の真実|血まみれの女王が抱えた孤独と処刑の悲哀の要点や背景をコンパクトにまとめました。全体像を一目で把握できます。
メアリー1世が「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれる最大の理由は、1553年から1558年までのわずか5年間の治世下で、約280〜300人に及ぶプロテスタント指導者や信徒を火刑台に送ったことにあります。当時のロンドン・スミスフィールド広場では連日のように異端者処刑の煙が立ち上り、カンタベリー大司教トマス・クランマーをはじめとする高官から一般市民までが犠牲となりました。
しかし、当時のヨーロッパ全体を見渡すと、同時代のフランスにおけるユグノー戦争やスペインの異端審問と比較して、処刑者数そのものが突出して天文学的だったわけではありません。それにもかかわらず彼女だけが際立って「血まみれ」と刻印された背景には、後継者となったエリザベス1世時代のプロテスタント系知識人ジョン・フォックスが著した『殉教者の書(Actes and Monuments)』の影響が極めて甚大でした。この書物が民衆に広く普及したことで、「残虐なカトリックの狂信者」というネガティブキャンペーンが決定付けられたのです。