仲代達矢と妻・宮崎恭子の絆|死因やすい臓がん闘病、無名塾の愛
仲代達矢と妻・宮崎恭子の絆|死因やすい臓がん闘病、無名塾の愛にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。
二人の歴史は、昭和の演劇界を牽引した名門「劇団俳優座」に遡ります。宮崎恭子さんは俳優座養成所の第3期生、仲代達矢氏は第4期生。つまり、演劇の世界において宮崎さんは1年先輩という関係性でした。若い頃の仲代氏は極めて貧しく、俳優としての将来にもがき苦しんでいた時期でしたが、宮崎さんは早くから彼の天賦の才を見抜き、精神的にも物質的にも支え続けたといいます。
1957年の結婚後、仲代氏は黒澤明監督作品をはじめとする映画界で瞬く間にスターダムへと駆け上がります。その華々しい活躍の陰で、宮崎さんは脚本執筆や翻訳を手がけつつ、夫のマネジメントと生活基盤を盤石に支えました。そして1975年、二人は自宅の稽古場を拠点に「無名塾」を創設します。
「月謝を取らず、生活を共にしながら本物の役者を育てる」という前代未聞の私塾スタイルは、夫妻の私財を惜しみなく投入することで成り立っていました。食事の世話から礼儀作法の指導、さらには戯曲の解釈に至るまで、宮崎さんは塾生たちにとって厳格な指導者であると同時に、慈愛に満ちた「塾の母」として存在し続けたのです。