明暦の大火の真実|振袖火事の怪異と江戸城天守が消えた本当の理由

明暦の大火の真実|振袖火事の怪異と江戸城天守が消えた本当の理由の全貌を詳しく解説してご紹介します。

灰燼に帰した江戸の町を、世界屈指の防災都市へと生まれ変わらせた立役者が、老中・松平信綱(通称・知恵伊豆)です。信綱は迅速な応急対策と同時に、100年先を見据えた抜本的な都市計画を断行しました。

まず着手されたのが、過密状態の解消です。大名屋敷や武家屋敷、そして多数の寺社を江戸市中の中心部から郊外(駒込、小石川、芝など)へと強制的に集団移転させました。吉原遊郭が浅草の北(日本堤・新吉原)へ移転したのもこの時期です。

さらに、大火の教訓から延焼を食い止めるための「火除地(ひよけち)」や「広小路(ひろこうじ)」を上野や浅草、日本橋などに配置。道路幅を大幅に拡張し、延焼遮断帯としての機能を都市構造に組み込みました。

そして最大の功績が、隅田川への架橋です。大火の際、隅田川に橋が架かっていなかったために東へ逃げ場を失った多くの町民が焼死しました。幕府は防犯上の理由から隅田川への架橋を禁じていましたが、信綱はこの禁を解き、武蔵国と下総国の2つの国を結ぶ橋として「両国橋」を架橋しました。これにより本所や深川といった東部エリアの大規模な都市開発が一気に進み、江戸の市街地面積は飛躍的に拡大することとなりました。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest