なぜイギリスは栄光の孤立を捨てたのか?日英同盟の真相と帝国の限界
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大英帝国が他国との恒常的な軍事同盟を拒否し続けた時代は、歴史学において「パクス・ブリタニカとの関係」を切り離して語ることはできません。産業革命を世界に先駆けて達成したイギリスは「世界の工場」として莫大な富を蓄積し、ポンド経済圏を世界中に拡大させました。その繁栄の屋台骨となったのが、世界第2位と第3位の海軍力を足し合わせた規模を単独で上回るべしとした「2国標準主義(Two-Power Standard)」に基づく強大な英国海軍(ロイヤルネイビー)の存在でした。
当時のイギリス外交の舵取りを担ったソールズベリー公爵(ソールズベリー首相の外交方針)は、平時における固定的な軍事同盟を頑なに避けました。同盟を結べば他国の戦争に巻き込まれるリスクを負うことになります。島国であるイギリスは、海軍力によって本土防衛を盤石にしつつ、欧州大陸で特定の強国が突出しないよう背後から介入して「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」を維持するフリーハンドの手法を好んだのです。
この「ヴィクトリア朝イギリスの繁栄と孤立」を指して、1896年にカナダの政治家ジョージ・フォスターが議会演説で「栄光の孤立(Splendid Isolation)」と表現し、当時のイギリス国内でも愛国的な誇りとともに広く定着していきました。つまり、孤立とは孤独な弱者の境遇ではなく、「どの陣営にも属する必要がないほど強大であることの証」だったのです。