それがしの意味と漢字「某」の真相|拙者との違いや侍言葉を徹底解説
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日本語の歴史において、「それがし」という言葉は非常にユニークな進化を遂げてきました。国語辞書や古語辞典におけるそれがしの意味を引くと、主に「自称の人称代名詞(自分をへりくだっていう言葉)」と「不定称の指示代名詞(名前を明示しない人や事物を指す言葉)」の二つの意味が記載されています。
それがしの語源由来は、指示代名詞の「それ」に、不特定の事物を表す接尾辞「がし(かし)」が接続した形態にあります。奈良時代から平安時代にかけての古語それがしの意味は、「それ某(だれそれ)」「あそこ」「どこそこ」といった、対象を直接名指しせずぼかす表現として用いられていました。『源氏物語』や『今昔物語集』などの古典文学においても、身元をあからさまに明かさない人物を「某の君」「某の法師」と言い表す場面が散見されます。
ここで注目すべきは、某の漢字表記です。現代では「某氏」「某所」のように「ぼう」と読まれることが多い漢字ですが、日本語の訓読みとして定着しているのが某の読み方である「それがし」および「なにがし」です。「某」という漢字は、果樹の「梅」の原字であり、酸っぱくて口をすぼめる様から転じて「はっきり言えないこと」「特定しないこと」を意味するようになったと古代文字学では解釈されています。
鎌倉時代以降、武士が台頭するにつれて、この「名を特定しない」という語感が独自の展開を見せます。戦乱の世において、武士は自らの名乗りを極めて重んじました。その一方で、あえて「名乗るほどのものでもない者」として自己を相対化する修辞が発達します。自分自身の固有名詞を伏せ、「某(それがし)」と名乗る姿勢は、過剰な自己顕示を慎み、武芸や忠義を行動で示す武士の美意識と合致したのです。