草戸稲荷神社が話題の真相は?本殿の絶景とご利益・混雑回避完全ガイド

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草戸稲荷神社の歴史は、平安時代初期の大同2年(807年)、弘法大師空海が隣接する明王院(当時は常福寺)を開基した際、その鎮守社として京都の伏見稲荷大社から神霊を勧請したことに始まると伝えられています。御祭神には宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)の三柱を祀り、古くからこの地の農耕と生活の守護神として尊崇を集めてきました。

この神社の由緒を語る上で欠かせないのが、中世の芦田川河口に栄えた港湾商業都市「草戸千軒町遺跡(くさどせんげんちょういせき)」の存在です。鎌倉時代から室町時代にかけて、瀬戸内海交易の要衝として栄華を極めたこの街は、度重なる洪水によって一晩にして川底へと沈んだと伝えられ、「東洋のポンペイ」とも称されます。草戸千軒で富を築いた商人たちは、水運の安全と交易の繁栄を草戸稲荷神社に祈願し、莫大な寄進を行いました。神社の歴史は、川底に眠る中世都市の繁栄と表裏一体の関係にあります。

さらに、神社のすぐ南側に隣接する「国宝 明王院」との関係も見逃せません。明王院には、和様と唐様が折衷された国内屈指の古建築である本堂と、南北朝時代建立の美しい五重塔という、2棟の国宝建造物が現存しています。明治の神仏分離令以前は一体の霊場として機能していた両社寺を巡ることで、備後地方における千二百年の信仰の厚みを立体的に実感できます。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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