張作霖爆殺事件の真相と首謀者の動機|昭和天皇の激怒と暴走の深層
張作霖爆殺事件の真相と首謀者の動機|昭和天皇の激怒と暴走の深層の全体像を詳しく解説してご紹介します。
事件発生当初、田中義一首相は陸軍の関与を疑い、昭和天皇に対して「軍規を厳正に保つため、真相を徹底究明し関係者を厳罰に処す」と奏上しました。しかし、陸軍上層部(白川義則陸相ら)は組織の威信失墜と国際的非難を恐れ、「関東軍無関係論」を主張して激しく抵抗。真相を公にしないままうやむやに処理する方針へと舵を切りました。
翌1929年6月、田中首相は当初の約束を翻し、「陸軍は無関係であり、警備上の手落ちがあったのみ」として河本大作を停職処分(後に予備役編入)とするだけの甘い幕引き案を天皇に報告しました。これに対し、事実関係を既に把握していた昭和天皇は激怒。「この前の話と違うではないか。辞表を出してはどうか」と極めて厳しい言葉で叱責された田中首相は恐懼(きょうく)し、わずか数日後の1929年7月2日に内閣総辞職へと追い込まれました。
『昭和天皇独白録』をはじめとする一次資料にも、この時の天皇の深い憤りと、首相を辞任させたことに対する後々の反省が赤裸々に記されています。しかし、この事件処理の失敗こそが、「中央の命令を無視して実力行使に出ても、軍は身内をかばって重大な罪に問わない」という致命的な前例を軍内部に植え付けることになりました。