なぜ2つある?古事記と日本書紀の決定的な違いと神話の真相
なぜ2つある?古事記と日本書紀の決定的な違いと神話の真相についての真相をご紹介します。
これら2つの書物が相次いで成立した背景には、ヤマト王権の歴史的転換点となった重大な政治的危機がありました。
発端は、第40代・天武天皇の強力なリーダーシップです。天武天皇は、古代最大の内乱である「壬申の乱(672年)」を勝ち抜いて即位したカリスマ君主でした。当時、各豪族が伝えていた歴史記録(帝紀や本辞)には多くの虚偽や改ざんが含まれており、天武天皇は「正しき皇統の系譜を後世に伝えなければ国家の礎が揺らぐ」として、歴史の再編纂を命じました。
さらに国外に目を向ければ、663年の「白村江の敗戦」によって唐・新羅連合軍からの侵略の脅威に晒された直後でした。日本は急速な中央集権化と律令制度の導入を進め、対外的にも対内的にも「天皇を中心とする確固たる独立国家」であることを証明する必要に迫られていたのです。
天武天皇の構想したプロジェクトは、その崩御後も持統天皇、文武天皇へと引き継がれ、第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の治世である712年にまず『古事記』が完成。その8年後の720年、第44代・元正天皇の時代に超大作『日本書紀』が完成を見るに至りました。記紀の誕生は、古代日本が「律令国家」として一本立ちするための精神的・法的な総仕上げだったのです。