ヤクザ全盛期はいつだったのか?18万人の実態と壊滅に至る真相

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日本最大の指定暴力団である山口組の歴史は、そのまま日本のヤクザ全盛期の変遷と重なります。一地方の港湾荷役業者から日本最大のメガ組織へと押し上げた立役者が、3代目組長・田岡一雄でした。田岡は港湾事業と神戸芸能社を両輪とし、美空ひばりをはじめとする大スターの興行権を握ることで、莫大な合法・非合法資金を獲得。圧倒的なカリスマ性と組織統率力で全国各地の抗争に介入し、組織を全国規模へと拡大させました。

田岡の死後、組織は後継争いから血で血を洗う山一抗争(1984〜1989年)へと突入します。4代目組長・竹中正久が暗殺されるという異常事態に見舞われながらも、対立組織である一和会を徹底的な武力行使で壊滅に追い込みました。この昭和を震撼させた流血抗争の取材を担当したベテラン事件記者は、当時の異様な熱気を次のように振り返っています。

「組長の自宅周辺や繁華街で白昼堂々と自動小銃や拳銃が乱射され、警察署の目前で組員が凶弾に倒れる。一般市民が巻き込まれる恐怖と背中合わせでありながら、当時の裏社会には社会のルールを力でねじ伏せる圧倒的な凶暴性が渦巻いていた」

この激しい抗争を収束させ、組員約4万人という史上最大規模の組織を統率したのが5代目組長・渡辺芳則でした。渡辺体制はまさに日本のバブル経済と完全に合致しており、経済ヤクザと呼ばれる知能犯が台頭。山口組の看板は金融街や政財界の奥深くにまで浸透し、権勢を誇りました。しかし、この巨大化しすぎた組織力こそが、警察当局による本格的な壊滅作戦の引き金を引くことになります。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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