『火垂るの墓』実話の真相|野坂昭如が隠した妹の死と生涯の後悔
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映画『火垂るの墓』で描かれる清太は、どんな過酷な境遇にあっても妹の節子を最優先に守り抜こうとする理想的な兄として描かれています。しかし、原作者である野坂昭如氏の自著『アドリブ自叙伝』や当時の手記を紐解くと、そこには美談とは正反対の凄惨な葛藤が記録されています。
1945年6月5日の神戸大空襲によって家を焼失し、養父を失った当時14歳の野坂氏は、1歳4ヶ月の義妹・恵子ちゃんを連れて焼け野原を逃げ惑いました。極限の飢餓状態に置かれた少年は、妹をいたわる余裕など到底持てなかったと、後に公の場で幾度も悔恨の念を吐露しています。
「妹が泣き叫ぶと、うるさくて頭を小突いた」「配給されたわずかな食糧や粥の固形分を、育ち盛りの自分の空腹に耐えかねて横取りし、妹には薄い上澄みばかりを与えていた」――これらは野坂氏が生涯背負い続けた告白の一部です。飢えによって日に日に衰弱していく妹の傍らで、自らの生存本能を抑えきれなかった記憶は、戦後どれほど作家として名声を得ても消えることのない深いトラウマとなりました。
小説『火垂るの墓』において、清太を妹思いの献身的な少年に仕立て上げ、最終的に三ノ宮駅で餓死させた結末について、野坂氏は「妹を飢え死にさせて自分が生き残ってしまったことへの罪滅ぼし」であったと明言しています。作中で清太を死なせることで、作家は自らの内面にあった卑小さを葬り去り、天国の妹へ魂の謝罪を捧げようとしたのです。