班田収授法はなぜ崩壊したのか?教科書が省いた破綻の真相と現代への教訓

班田収授法はなぜ崩壊したのか?教科書が省いた破綻の真相と現代への教訓について見逃せない 理由を厳選して解説いたします。

班田収授法において民衆へ交付された口分田の面積と返還ルールは、律令の「田令」によって厳格に規定されていました。支給基準は「満6歳以上の男女」であり、6年ごとに行われる戸籍の改訂に合わせて田の班給(割り当て)が行われました。

支給面積の基本単位は「段(たん)」と「歩(ぶ)」で表されます(古代の1段は約360歩、面積にして現代の約1,100〜1,200平方メートルに相当)。良民男子に与えられたのは2段(約2,400㎡)。良民女子はその3分の2にあたる1段120歩(約1,600㎡)でした。一方で、貴族や豪族が使役していた奴婢(ぬひ)などの賎民にも支給規定が存在しました。公奴婢は良民と同じ面積が与えられた反面、私奴婢は良民の3分の1(男子で約800㎡)にまで切り下げられていました。

農民は口分田の収穫から、1段につき2束2把(収穫量の約3%前後)を「租」として国へ納める義務を負いました。この数値だけを見ると「わずか3%の税率なら生活は容易だったはずだ」と誤解されがちですが、これこそが歴史の教科書が陥りがちな最大の死角です。口分田そのものへの課税である「租」は低率に抑えられていたものの、成年男子個人(正丁)の肉体そのものに課せられる人頭税が、農民の生活を容赦なく圧殺していったのです。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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