甲斐国の由来と語源の真相|山峡説から武田信玄の歴史まで徹底解説

甲斐国の由来と語源の真相|山峡説から武田信玄の歴史まで徹底解説の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。

Q1:山梨県の旧国名が「甲斐」なのに、なぜ県名は「山梨」になったのですか?
A1:明治4年(1871年)の廃藩置県において、甲斐国全域は一時「甲府県」となりましたが、明治5年に県庁所在地であった「甲府学校」が置かれた山梨郡にちなんで「山梨県」へと改称されました。明治政府は旧国名ではなく郡名を県名に採用する方針(旧幕府側についた地域や天領を旧国名から切り離す意図など諸説あり)をとったため、古くからの由緒ある郡名である山梨郡が選ばれたという経緯があります。

Q2:「甲斐の黒駒」とは具体的にどのような馬だったのですか?
A2:四肢の蹄(ひづめ)が白く、毛並みが漆黒の優れた名馬を指します。『日本書紀』の雄略天皇条や聖徳太子の愛馬伝説に登場し、古代甲斐国が朝廷屈指の馬産地であった事実を象徴しています。現在の北杜市や韮崎市周辺には古代の軍馬育成施設(牧)が点在しており、この馬匹生産が後に武田騎馬軍団の強力な基盤となりました。

Q3:「甲斐国」の最も古い文献上の記録はどこで確認できますか?
A3:『古事記』(712年編纂)のヤマトタケルの酒折宮滞在の記述、および『日本書紀』(720年編纂)の景行天皇条が最古の確実な文献記録です。また、木簡などの出土品調査では、7世紀後半の藤原京跡から「甲斐国」と墨書された荷札木簡が出土しており、飛鳥時代後半には律令国家の行政区画として「甲斐」の呼称が公的に確立していたことが考古学的にも実証されています。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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