人口3分の1が消えた黒死病の歴史|ペスト終息の真相と現代への教訓
人口3分の1が消えた黒死病の歴史|ペスト終息の真相と現代への教訓の要点や背景を専門的かつ分かりやすくまとめました。全体像を一目で把握できます。
「朝、親族や友人たちと朝食を共にした者が、その日の晩には冥界の先祖たちと夕食をとった」――フィレンツェの文豪ジョヴァンニ・ボッカッチョが名著『デカメロン』の序文に記したこの凄惨な光景は、1348年のイタリアを襲った地獄絵図そのものでした。中世ヨーロッパにおける中世ヨーロッパペスト流行の経緯を辿ると、発端は中央アジアのステップ地帯、あるいは中国雲南省付近と目される黒死病の歴史と起源に突き当たります。
決定的要因となったのが、1347年のクリミア半島における「カッファ(現フェオドシア)包囲戦」です。ジェノヴァ共和国の交易拠点であったカッファを包囲したモンゴル軍陣営でペストが発生し、投石機でペスト感染者の遺体を城壁内に投げ込んだと伝えられています。この包囲を脱出したジェノヴァ船がシチリア島のメッシーナ港に入港した瞬間、欧州本土への侵入経路が確立されました。以後、わずか3〜4年の間にイタリアからフランス、イングランド、北欧、ロシアへと猛烈なスピードで拡大したのです。
当時の記録を紐解くと、ペスト死亡者数の真相と人口減少の規模は現代の想像を絶します。1347年当時のヨーロッパ総人口はおよそ7,500万から8,000万人と推定されていますが、流行が一段落した1351年までに失われた命は約2,500万〜5,000万人。一部の大都市では人口の60%以上が瞬く間に消滅しました。遺体があまりに多発したため、教区教会による正規の埋葬は完全に破綻し、巨大な共同墓穴に遺体が何層にも積み上げられる事態に陥ったのです。
医学的知見が皆無だった当時、恐れられた病態は主に2種類に大別されます。ここで腺ペストと肺ペストの違い詳細まとめを整理しておきましょう。
- 腺ペスト(Bubonic Plague):ノミの刺咬によって感染。太ももの付け根(鼠径部)や首、脇の下のリンパ節が鶏卵大からリンパ腫状に赤黒く腫れ上がり(横痃=おうげん)、猛烈な激痛を伴います。無治療時の致死率は50〜70%前後に達します。
- 肺ペスト(Pneumonic Plague):腺ペストから菌が血流に乗って肺に達するか、感染者の咳・痰を直接吸い込むことで飛沫感染。24〜48時間以内に急激な呼吸困難と喀血を引き起こし、全身に十分な酸素が巡らなくなって皮膚が暗褐色(チアノーゼ)に染まります。未治療の場合の致死率はほぼ100%という極めて致死性の高い病型です。
皮下に広がる無数の内出血斑が壊死して黒ずむ外観から、後世に「黒死病(Black Death)」の異名で呼ばれることとなったこの病魔は、身分や信仰を問わずあらゆる人間を無差別に薙ぎ払いました。