山田太一が遺した5つの真実|名作が今も心を揺さぶる理由

山田太一が遺した5つの真実|名作が今も心を揺さぶる理由にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

昭和から平成のドラマ史を語る上で欠かせないのが、山田太一と同い年であり、互いを深く意識し続けた倉本聰との関係です。1934年生まれの二人は、テレビドラマというメディアが映画の後塵を拝していた時代から「脚本家の地位向上」を目指して共闘した同志でした。

作風において、二人は見事なまでの好対照を成しています。倉本聰が『北の国から』に代表されるように、東京を捨てて大自然に分け入り、人間の野性や大地の力強さ、父権の回復を謳ったのに対し、山田太一は徹底して「都市の片隅」に留まり続けました。団地、私鉄沿線の住宅街、ガード下の居酒屋。近代的な都市機構のなかで消耗し、居場所を失いかける市井の小市民を描くことに執着したのです。

生前、二人は対談で互いの作風をユーモアを交えて評していました。倉本が「太一の書くセリフは都会的で論理的で、嫉妬するほどうまい」と語れば、山田は「倉本さんのように自然の沈黙や土の匂いを言葉にできる人は他にいない」と敬意を表していました。山田が世を去った際、倉本は関係者を通じて「半世紀以上、背中を見合いながら走ってきた戦友を失った。激しい孤独を感じる」と追悼の意を表明。日本の脚本界における双璧が残した足跡は、今も後進の作家たちに巨大な道標として立ちはだかっています。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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