太宰府天満宮・天開稲荷社の真相|奥の院の洞窟と最強金運の正体
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太宰府天満宮の境内東側、国の名勝に指定されている庭園やお石茶屋を通り過ぎ、山手へと続く石段の登り口に立つと、それまでの華やかな観光地の喧騒が嘘のように吸い込まれていきます。木々の木漏れ日の中に浮かび上がる鮮やかな朱の鳥居群こそが、天開稲荷社への結界の入り口です。
社の草創は鎌倉時代末期と伝えられます。太宰府天満宮の社伝および案内記録によると、京都の総本宮・伏見稲荷大社から正一位の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を勧請し、天神山(四王寺山系)の中腹に奉斎したのが始まりとされています。菅原道真公の神霊を慰め、太宰府の鬼門・山側を守護する要衝として、中世より神職や修験者たちによって厳重に守り継がれてきました。
社名にある「天開」は文字通り「天に向かって道が拓け、万物の運気が花開く」という意味を宿しています。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全はもちろんのこと、人生の閉塞感を打ち破る「突破の神」「立身出世の神」として、戦国武将や近代の財界人たちからも篤い崇敬を集めてきました。多くの観光客が仮殿(大改修に伴う特別仮殿)周辺で参拝を終えて引き返すなか、この山奥まで足を伸ばす参拝者は全体の2割未満にとどまります。だからこそ、太宰府における至高の「隠れスポット」として熱心な信奉者を惹きつけ続けているのです。