回答兼刷還使と朝鮮通信使の決定的な違いとは?家康が隠した捕虜返還の真相
回答兼刷還使と朝鮮通信使の決定的な違いとは?家康が隠した捕虜返還の真相の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点で紐解きます。
まず基本となる名称の確認から進めましょう。回答兼刷還使の読み方は「かいとうけんさつかんし」(文献によっては「かいとうけんさっかんし」)です。漢字を分解すると、その役割と派遣された理由が明確に浮かび上がってきます。
「回答(かいとう)」とは、日本側(江戸幕府・徳川家康)から送られた国交再開を求める国書に対して、朝鮮王朝(李氏朝鮮)が「返事をする」という意味です。そして「刷還(さつかん)」とは、文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の戦乱の中で日本軍によって日本本土へ連行・拉致された朝鮮人の被虜人(捕虜)を「連れ戻す(連れ帰る)」ことを指します。
つまり、単なる儀礼的な親善訪問ではなく、「国書への返答」と「国民の救出」という極めて具体的かつ重い政治・人道任務を背負った使節団でした。この使節団が派遣された時期は、江戸幕府成立直後の17世紀初頭であり、江戸時代における対外関係の根幹を形作る極めて重要な転換点でした。