志村けん『バカ殿様』のモデルは誰?実在の将軍説と歌舞伎ルーツの真相

志村けん『バカ殿様』のモデルは誰?実在の将軍説と歌舞伎ルーツの真相の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

「バカ殿には実在のモデルがいるのか?」という問いに対し、歴史愛好家や民俗学者の間で長年挙げられてきた候補が、江戸時代に君臨した徳川家の実力者たちです。作中の城内には徳川家の象徴である「丸に三つ葵」に酷似した家紋が掲げられ、殿の幼名が徳川将軍の慣例である「竹千代」と呼ばれていたことからも、江戸幕府の将軍や親藩大名が下敷きになっていることは明白です。

なかでも最も有力な実在人物説として語り継がれているのが、江戸幕府第9代将軍・徳川家重です。家重は生まれつき言語障害を抱えており、重度の頻尿であったことから後世に「小便公方」と揶揄されるなど、歴代将軍の中でもひときわ特異な人物として記録されています。しかし近年の歴史研究では、側近の大岡忠光を通じて的確な幕政指示を出し、田沼意次を登用するなど極めて聡明な一面を持っていたことが判明しています。「一見すると暗愚に見えるが、実は周囲を観察している」という多面的な人物像が、バカ殿のパブリックイメージと重ね合わされる最大の根拠です。

さらに、大奥で数多くの側室を抱え53人もの子女をもうけた第11代将軍・徳川家斉も有力な元ネタ候補として挙げられます。家斉の治世は華美な文化が栄えた反面、大奥を中心とした放蕩な生活ぶりが後世に伝えられており、「美しい腰元たちに囲まれて酒池肉林の戯れに興じる殿様」という番組の基本構図は、家斉時代の大奥の乱脈ぶりを風刺したパロディとしての側面を色濃く反映しています。

もう一人見逃せないのが、尾張徳川家第7代藩主の徳川宗春です。8代将軍・徳川吉宗が主導した享保の改革(質素倹約令)に真っ向から反旗を翻し、金糸銀糸をあしらったド派手な衣装を着て、長いキセルをくわえながら牛に乗って城下を闊歩した奇抜な大名でした。バカ殿が見せる原色を多用したド派手な和装や自由奔放な立ち振る舞いは、宗春の反骨精神と派手好みな美意識が投影されていると考えるのが極めて自然です。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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