種田仁「ガニ股打法」誕生の真相とは?劇的復活の理由と波乱の現在
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種田仁氏の代名詞となったガニ股打法は、決して観客を沸かせるためのパフォーマンスとして生まれたわけではありません。その背景には、選手生命を脅かす大ケガと過酷な試行錯誤がありました。
名門・上宮高校で甲子園春夏連続出場を果たし、1989年のドラフト6位で中日ドラゴンズへ入団した種田氏。持ち前の勝負強さと堅守で内野のレギュラーを掴みかけていた矢先、1999年に右アキレス腱断裂という大ケガに見舞われます。リハビリを経て翌2000年の春季キャンプに復帰したものの、下半身をかばうあまり打撃フォームのバランスが崩れ、どうしてもボールを迎えにいってしまいバットが出ない重度のスランプに陥っていました。
転機が訪れたのは2000年のオープン戦、遠征先の福岡でのことでした。宿舎の鏡の前でバットを持ち、どうすれば体の開きを抑え、リラックスして球を呼び込めるかを試行錯誤していた際、両足を大きく広げて腰を落とし、投手を両目でしっかり見据える構えを閃きます。半信半疑で打撃練習を行ったところ打球が鋭く飛び始め、当時の打撃コーチだった高橋慶彦氏からも「面白い、そのまま打席に立ってみろ」と背中を押されたことで、伝説のフォームが実戦でベールを脱ぎました。