背広の語源はサヴィル・ロウか?明治の文献が明かすスーツの真相

背広の語源はサヴィル・ロウか?明治の文献が明かすスーツの真相の疑問点について、最新情報を基に徹底解説します。

文明開化の波が押し寄せた明治維新の時代、西洋の「洋服・スーツ」文化はいかにして日本語に翻訳されたのか。啓蒙思想家・福澤諭吉が著した『西洋衣食住』をはじめとする当時の文献をめくると、興味深い事実が浮き彫りになる。初期の記録において、西洋の男子上着は「フロックコート」や単に「上着」、あるいは「背の広い服」といった即物的な描写で記録されていた。

明治初頭の公文書や新聞記事のデータベースを徹底的に洗っても、「サヴィル・ロウ」が直接「せびろ」と表記された確たる一次史料は極めて乏しい。むしろ当時の知識人たちは、英語の原音を写し取るよりも、その衣服の構造的特徴を日本語の語彙にどう落とし込むかに苦心していた痕跡が色濃く残っている。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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