浪越徳治郎の生涯と真実|モンロー秘話から指圧学校の現在まで
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浪越徳治郎の経歴を語るうえで欠かせない原点は、北海道の厳しい大地と、病に苦しむ母の存在です。1905(明治38)年に香川県で生まれた徳治郎は、7歳のときに一家で北海道虻田郡留寿都村(るすつむら)へ開拓民として移住しました。寒冷な気候と過酷な開拓作業のなかで、母・マサは全身の関節が腫れ上がる多発性関節リウマチを発症します。付近に医師はおらず、医薬品も手に入らない過酷な環境下で、少年だった徳治郎は必死に母の痛む身体をさすり続けました。
徳治郎は自著や生前のインタビューにおいて、「母が『そこを押すと楽になる』と言ってくれた手応えだけを頼りに、親指と掌で全身を押し続けた」と振り返っています。試行錯誤を重ねるうちに、手掌で圧力を加えることで血行が促され、痛みが劇的に和らぐ法則を体得しました。数年の歳月をかけて母の病状を克服させたこの体験こそが、のちに世界基準となる「指圧(SHIATSU)」の萌芽でした。
上京後、解剖学や生理学などの近代西洋医学を学んだ徳治郎は、単なる勘や伝統療法にとどまっていた手技を論理的に体系化します。1940(昭和15)年には東京・小石川に「日本指圧講習所」を創立。当時の日本手技療法界は、中国伝来のあん摩やオランダ伝来のマッサージが主流でしたが、徳治郎は道具を一切使わず、術者の手指のみで生体の自然治癒力を引き出す独立した技術として「指圧」を確立しました。浪越徳治郎の名言として今なお刻まれる「指圧の心は母心押せば命の泉湧く」という言葉は、極寒の北海道で母の命を救おうと祈り続けた少年の原体験そのものから紡ぎ出された信念です。